平成最後のコラム
明日4月27日から大型連休が始まり、カレンダー通りであれば5月6日まで10連休となる。5月1日には、新天皇陛下の即位に合わせて元号が改元されるが、筆者の社会人生活にほぼオーバーラップする30年以上続いた「平成」に代わり、「大化」以降247番目(南北朝時代の重複を除く231番目とする見解もある)の元号である「令和」が始まることになる。
今回はこれまでの改元と異なり、5月1日に改元することが事前に決まっていたため、特に昨年末からテレビ・雑誌をはじめとして「平成最後の」という表現があちらこちらで聞かれる。弊コラムもそれにあやかり、月並みながら「平成最後のコラム」とさせていただくことをお許しいただきたい。
今回の大型連休は例年と異なり、4月27日の土曜日を含めると、飛び石ではなく完全な連休となる。各種報道によれば、国内外の旅行やレジャー関連の支出が増えることが見込まれている。また、小売店でも品切れによる機会損失を防ぐために商品在庫を積み増して対応しているようだ。小売店だけでなく銀行やコンビニエンスストア等に設置されているATMにもこれまでの大型連休以上の現金が装填されたり、小売店でもつり銭を多めに準備するなど、連休中のキャッシュ不足が起きないよう、在庫以外のモノについても各方面で対策が取られている。
4月に入り、気温もだいぶ上がってきているため、あとは好天と適度な気温に恵まれれば、景気の面からも好ましい大型連休になるだろう。
さて、「平成最後のコラム」として、あらためて自分なりに平成を振り返りたい。
「平成」は今上天皇が即位された1989年1月8日から2019年4月30日までの30年と113日間となる。冒頭に書いたように筆者の社会人生活とほぼ重なるが、最も印象に残っているのは、日経平均最高値(1989年12月29日、38,915円87銭)からの暴落、地価・住宅価格の下落をはじめとするバブル崩壊である。
2017年にも暗号(仮想)通貨バブルがはじけたが、暗号(仮想)通貨バブルはごく一部の人への影響にとどまったのに対し、特に1991年から1993年にかけての景気後退は日本経済に与えたインパクトは、はるかに強烈であった。その後も信用収縮に伴う不良債権の増加により銀行の合併・統合も進んだが本格的な景気回復には至らず、日経平均株価は2003年には最安値7,607円88銭とピークの2割以下の水準にまで落ち込んだ。本コラム執筆時点での日経平均株価は22,000円台を回復しているが、本格的な景気回復を実感している人はさほど多くないのでは、と感じる。
世界のGDPの順位と国際シェアを見ても、平成元年(1989年)の時点では、1位は米国で28%、2位は日本の15%、中国は2%(8位)であったが、平成22年(2010年)に中国が日本を追い抜きGDP2位になり、以後日本はGDP世界第3位の位置にある。平成30年(2018年)の順位とシェアは、1位米国24%、2位中国16%、3位日本6%と、米国と中国の経済規模はちょうど平成元年時点の米国、日本のような状態となっており、世界の2大経済大国は米国と日本から米国と中国に完全に入れ替わった。
それでもなお、日本が引き続きGDP世界第3位の座を維持している点をどう見るべきなのか。世界中でも例を見ないスピードで高齢化社会が進展する中、奮闘しているとみるべきなのか、衰退の一途を進んでいるのか。
意見が分かれるところであろうが、社会環境の面では鉄道や道路、上下水道、教育機関をはじめとするインフラの整備がほぼ完了し、個人生活の面では住宅、家具、自動車、大型家電等の耐久消費財の普及が浸透している。一方、「平成」に一気に普及・浸透したパソコン、携帯電話(スマートフォン)、インターネットは生活に定着してはいるものの、それらから得られる生活実感としての豊かさを「変化」として感じ取りにくくなっている可能性は高いだろう。特に物心がついた時から自動車やテレビ、各種家電、パソコン等が手元にある今の20代前半以下の世代から見ると「変化率」は相当小さいのでは、と感じる。
そうした成熟化した日本で、「令和」はどういう時代となるのか?
日本国内に滞在・生活する人については、人口減少と高齢化の進展という2つの側面は「令和」になっても避けては通れない前提条件のまま存在するだろう。しかし、海外から日本に訪れる人は2020年の東京オリンピックを機に、さらに増加することが予想される。日本の人口は約1.3憶人であるのに対し、世界の人口は約75.3憶人と推計されており、日本以外の人口74憶人の1%の人が日本を訪れるだけでも7,400万人となる。(2018年の訪日外国人は前年比8.7%増の3,119万人、日本政府観光局)
こうした来訪者への各種サービス(特定の宗教の信者向けの食事等(ハラルフード、ハラルレストランの拡大)や医療、介護、旅行等々)について開拓しきれていない潜在的な需要はまだまだ大きいだろう。
また、日本国内に居住・生活する人についても、耐久消費財を含む内需の急拡大は期待できなくても、一定の更新需要や、Society5.0を活用した、シェアリングサービス(家、自動車、自転車、服、バッグ等)をはじめとする分野も期待できる。これまでのように、高い付加価値を有する製品を生産・輸出するのではなく、日本に来ないと体験・経験できない付加価値、サービスを提供するという視点を有することが重要ではないか、と考える。
今月のコラムで弊社田中が書いていたように、先日、新紙幣の発表があり、今年1月に筆者が本コラムで触れた渋沢栄一翁が福沢諭吉先生に代わり1万円紙幣の「顔」となることになった。田中がコラムで指摘しているように、モノとしての紙幣の流れ自体も電子マネーや決済サービスの普及に伴い、既に変化の兆候は表れている。新紙幣が登場してもリアル紙幣の流通量は完全になくなることはないにせよ、徐々に減少し、暗号(仮想)通貨を含む伝統的な通貨以外の流通(決済)量は、これまでの新紙幣発行時に比べて加速する可能性は高いだろう。
現時点では確定したわけではないが、10月に予定されている消費税の引き上げ(8%から10%に変更)ではキリのいい税込価格が増えることが予想され、5円硬貨や1円硬貨といったリアル硬貨の使用頻度も減少し、市中の流通量はさらに減少するだろう。
西暦645年の「大化」から始まる元号制度は、日本が中国から取り入れた制度である。本家本元の中国でも100年以上、改元は行っておらず(最後の元号は1909年から1911年の清国宣統帝(愛新覚羅溥儀)の「宣統」)、世界でも元号が残っているのは日本だけである。生きた化石か絶滅危惧種のように残っている元号「令和」の時代になっても、視覚可能なモノの動きだけでなく、視野から消えゆくモノについても、本質を見失わないよう「see」や「look」ではなく「watch」し続けることを心掛けたい。
(堀記)