Society5.0
3月といえば卒業式の季節。
私事で大変恐縮ですが、先日、長女の卒業式に参列してきました。参列といっても関係者は大教室の大型スクリーンに映し出される卒業式の映像を眺めるだけなのですが。
私は長女と同じ大学を約30年前に卒業しましたので、校舎や講堂、生協や食堂の位置といったキャンパスの風景はほぼ同じでしたが、座る場所の違い、親と学生という立場の違い等々、卒業式から受ける印象はだいぶ異なることを実感しました。
正直なところ、自分自身の卒業式の時の学長(当時の学長の名前も大変失礼なことに全く覚えていませんでした)の式辞や来賓の祝辞などの内容は全く覚えていませんし、覚えているのは恥ずかしながら今回の卒業式と同じように爽やかで春らしい、いい天気の日だったことぐらいです。
各学部の成績優秀者は名前を呼ばれ、最優秀者は謝辞を述べるという風景も昔のままなのだろうなという思いで大型スクリーンに映し出される映像を眺めていました。また、現在の学長は私が学生時代の教授の子息であったり、学部長も私と同年代の教授が就任されていることにも30年の時の流れを感じましたが、学長の式辞の中で特に印象に残った言葉がありました。
それは、「society5.0の時代の中では、未来の在り方から出発する思考と現実にある課題から出発する思考の両方が必要であり、最終的に両者が繋がったとき、私たちはよりよい社会を実現することができる。学問には未来社会のあるべき姿を考える領域と現実を把握し因果のメカニズムを解明する領域の両方があり、両者は密接に関連している。そうしたことを学んだ皆さん(学生)が活躍する時代が来るのだ」という言葉でした。
そもそもsociety5.0とは、内閣府の資料によれば、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)と定義され、狩猟社会(Society1.0)、農耕社会(Society2.0)、工業社会(Society3.0)、情報社会(Society4.0)に続く新たな社会を指すものであり、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として提唱されています。
これまでの情報社会(Society4.0)では不十分だった、知識や情報の共有、分野横断的な連携、SDGsに挙げられるような各種課題が、IOT(Internet of Things)やAIを活用しながら、ロボット、自動走行車、ドローンなどをはじめとするモノの技術革新と有機的に結びつくことにより、解決・克服されることが期待されています。
弊社がSociety5.0に関連する分野も多数ありますが、内閣府のホームページに掲載されている分野では、ものづくり、農業、食品などが特に該当するでしょう。
「ものづくり」の分野ではサプライチェーンとモノの関係を現実問題の中でどう考えていくかが重要になるでしょうし、「農業」や「食品」の分野では、弊社グループ会社で取り組みを始めているような全国で拡大する耕作放棄地や管理が行き届かない山林等の整備を進めることで、農地の再活用を促し、わが国の美しい農村の復活と農業事業の発展や雇用を創出していくことが重要になるでしょう。弊社がこれまで培ってきた、モノ(動産)や業界動向、商流等に関する知見やノウハウを活用し、あるべき未来の実現に向け社会に貢献できる領域はまだまだたくさんあると考えています。
学長の式辞には、もう一つ、私の印象に残っている言葉がありました。
それは「今そこにあるものではなく、あるべきものを描ける力こそ、生物の中で人間にのみ備わっている能力である」という言葉です。
米中貿易戦争、英国のEUからの離脱(Brexit)、世界的な景気減速、格差社会、分断社会等々、現実社会ではいろいろな問題が起こっており、いまだ解決には至っていませんが、人間だけが持っている「あるべきものを描ける力」をこれからも信じていきたいと思っています。
(堀記)